流された写真

2011年3月11日。

この日、皆さんはどこで、何をしていましたか?

私は仕事中で大勢の仲間と一緒にいました。

何度も襲う強い揺れ。

でも、1人の人間には何もすることは出来ない。

ただ揺られるだけ。

情報も入ってこない中、会社の判断で徒歩で帰れる人は帰って下さいと言われ、徒歩約1時間かけて自宅に帰りました。

途中にある大きな川の河岸では津波が川を逆流する可能性もあるのでなるべく渡らないで下さいとアナウンスしていましたが、渡らないと家に帰れない。

何事もない事を祈りつつ足早に渡ったことを覚えています。

自宅は震源地よりも離れていたため、なんの被害もなく過ごすことが出来ました。

しばらくは、食料の買い溜めや通信網の繋がりの悪さは感じましたが、輪番停電の地域にも入っていなかったので、不便を感じることもなかったです。

ですが会社が輪番停電の地域に入ったり、電車もしばらく安定して運行していなかったりして、仕事があまり捗っていなくて、はじめて休日出勤を経験したのもこの年でした。

しばらくして、当時勤めていた会社でボランティアの募集メールがまわってきました。

別の事業所で災害地で回収した写真の汚れを落とすボランティアの募集でした。

気になった私は募集元の部署に連絡を取り派遣社員でも参加可能かを問い合わせしました。

もちろん参加して頂きけますし、大歓迎です!との返信で、参加することになりました。

ただ写真を洗うだけのボランティア。これをボランティアと言っていいのかと思うほどの簡単な作業。

でも、これ、結構メンタル的に辛いものがありました。

馬鹿だから私、想像しちゃうんです。

写真に写っているのって、皆んな笑顔なんですよ。楽しい思い出がいっぱい詰まっているんですよ、写真って。

現代からかなり過去の写真まであって、この時にはすでの他界されているであろう方との思い出の写真とかもあって、きっと持ち主さんにはもう一緒に作ることのできない思い出の大事な大事な写真なんだろうな、とか想像してしまって…。

胸が詰まります。

そして、ここに写っている方々が無事でいらっしゃいますようにと願わずにはいられなかったです。

写真屋さんで働いている方の震災時の思い出を漫画にされたとの記事を読んで、自分が感じたことを思い出して書いてみました。

写真って、写っている人の背景が分からなくても感じるものが多くあるんですね。

あのとんでもない状況下で残った写真と出会えて、少しでも心が温かくなる人がいたら幸いです。

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