母の転院先を探している時に思ったのですが、結局はこの国は文句があるなら自分で面倒見ろ!という考えが根底にあるんだなと思いました。
確かにその意見も理解できる部分もあります。
でも何十年も保険料を支払ってあまり病院のお世話にもならずに健康を保ってきて、いざ助けて欲しい時にそれって、どうなのよと思います。
理子乃助も途中で「だったら自分で面倒みます!」って何回啖呵を切ろうかと思ったことか。
でも、残念ながら理子乃助は今職を離れたら将来なんかない状態にしかならなくて………。😭
本当に財力って生きるためには必要です。
本当の命を繋ぐという意味の生きるため、です。
自分らしく生きることとは違います。
母の入院の経験から色んなところで生きるためにお金があれば解決出来ることが多いなぁと、しみじみ感じました。
そして今まで病院のお世話になんてあまり無く、真面目に保険料ももれなくずーっと払い続けてきたのにもかかわらず、いざ使いたいとなったら、もうあんたに金なんかかけてやるわけねーだろ!って言われるのは、本当に悔しい。
この何十年の保険料は他人のためだけに納めていたのかと思い知らされる。
母の納めた保険料で誰かが健康になってくれるのは嬉しい事です。
でも、だからって、必要な時に高齢者だってことで命を守るはずの健康保険に脅かされるとは思わなかった………。